ご挨拶

ごあいさつ

 私のホームページへお越し下さいきまして誠にありがとうございます。行政書士で板橋区議会議員の長瀬達也でございます。早いもので板橋区議会議員となって3期・約12年になります。現在は、区議会の「子供の貧困対策調査特別委員会」で委員長を務めております。私は、区政への初挑戦のときから一貫して、師匠である河村たかし名古屋市長と連携し、現在まで、板橋区政の改革を行ってまいりました。
 私の政策や日々の活動については別のページに記載しておりますので、そちらをご覧いただくことして、そもそも、なぜ私が板橋区議会議員を目指し、政治活動を続けてきたのか、お話ししたいと思います。

 

「弱者救済」それが私の原点

1 政治を志すきっかけとなった事故のニュース

 私が大学在学中の1999年11月28日に東名高速で飲酒運転事故が発生しました。飲酒運転のトラックが普通乗用車に衝突して起きた交通事故で幼い姉妹が亡くなりました。炎に包まれる自動車、その中の子どもたち。夫婦は必死に助けようと努力したそうですが、残念ながら叶いませんでした。二人の子どもを失ってしまったご夫婦の無念、子どもたちの恐怖や苦しみを思うと、トラック運転手に対する怒りが今でもこみあげてきます。

 当時司法試験を受験していた私は、この裁判の行方を見守っておりました。常習的に飲酒運転していたこのドライバーのトラックは、動く凶器そのものであり、当時の私の気持ちとしては殺人罪が適用されてもおかしくないと思いました。しかし、当時は、単なる業務上過失致死傷罪、検察は5年を求刑し、それに対して下された判決は4年の実刑。あまりにも軽すぎる刑でした。事故を起こすことを十二分に予見しながら飲酒運転を続けてきたこのドライバーの行為は単なる「業務上過失」ではありません。事故で人を殺すかもしれないけれども、それでも構わないと飲酒運転を続けた結果、二人も死なせた。トラックを使った無差別殺人と言ってもよいほどの犯罪行為だと思います。
この卑劣な事故は、マスコミが一斉に取り上げ、社会問題となりました。そしてこの事故をきっかけに危険運転致死傷罪が成立することとなったのです。

 痛ましい事故が起き、その事実の後追いで法律こそ整備されましたが、失われた二人の尊い「いのち」は戻ることはありませんし、残ったご夫婦の無念も怒りを癒すことは、だれにもできない。
この現実に、私は、やり場の無い思いと、法律の無力さを感じました。

 弁護士になって法律の解釈で人を救うことはできても、法律が無ければ何もできません。被害者が出る前に法律や条例をつくり、被害を未然に防ぐこともできません。これに気付いた大学4年の時、私ははっきりと政治の道を志したのです。

 危険運転致死傷罪ができてからは、飲酒運転は減少傾向にあると言われています。もし、あの事故の前に危険運転致死傷罪があれば、あの事故は起こらなかったのではないか、そんなことも考えてしまいます。
 しかし、現実には「もしも」はありません。立法は、尊い犠牲を伴ってはじめて動くのです。
 私は、いわれなき犠牲を強いられた人や弱い立場の人が苦しむ状況を知ることがとても辛い、だから助けたい。だから、こうした人の立場に寄り添い、共に戦っていく政治をしたいと考えています。

2 庶民の、庶民による、庶民のための政治。

~河村たかし名古屋市長から学んだ「庶民感覚」~

 私が新人候補として初めて区政に挑戦したとき、当時民主党の衆議院議員だった河村たかしさんが、応援に入ってくれたのが最初の出会いです。
私は、TVタックルなどで知名度も高い、自称「総理をねらう男」。面白い有名人が来てくれて心強い、という位の印象しか持っていませんでした。ところが実際に会って、河村さんの印象は180度変わったのです。
 テレビで面白おかしくイジられる、方言丸出しのオッサン(河村さんスミマセン・・・orz)から、理想を追求して生真面目に政治と向き合う人、その理念や政治姿勢を学ぶべき尊敬すべき政治家へと変わったのです。
 演説の内容は、「納税者庶民が苦しんで、税金で食っとる者が楽をする世の中を変える」というもの。議員年金という特権の廃止や行政の利権に切り込む行革、そして庶民の懐が温かくなければ景気は良くならんと、減税を訴えるなど、ひたすら庶民、大衆目線の政策の数々。
 まだぼんやりとしていた私の「弱者のための政治」、実際の政策に具体化する言葉にントが合った思いでした。
 また、政治姿勢も素晴らしいものでした。「パリッと決めて、小難しい演説したって誰も聞いてくれん。ノーベル賞取ったとかものすごい有名人でもないのに偉そうにしてたら、だれも話を聞いてくれんぞ。まず、自分を知ってもらう、好きになってもらわなイカン。気さくに話しかけてもらう位になる。聞いてもらうのはそれからだ。」
 もはや本質になっていると思いますが、「庶民のための政治」をするために、気さくで取っ付きやすい庶民的なキャラクターを築いてきたのです。
 今では、私のトレードマークのようになった自転車街宣も、河村さんの直伝です。「車では速すぎる。気軽に声をかけられる程度のスピードで広い地域を回って知ってもらうには自転車が一番なんだ。」
 ウケ狙いの珍道中ではなく、宣伝効果を考え抜いた末にあみ出された手法だったのです。

 初挑戦のときの衝撃的な出会いから、はや12年。定期的に講演会の講師も勤めて下さり、政治理念や政治姿勢を思い返させてもらっています。
 今は名古屋市長として、自ら市長給与を、800万円にまで引き下げ(前任者の約3分の1!)、市長の退職金も廃止しました。本物の「身を切る改革」を率先して進めている師匠の姿勢には、今も学ばされます。

3 法律弱者を救う。行政書士としての挑戦

 弁護士を志し、司法試験を受験していたもののこの試験はなかなか大変で、2回挑戦しましたが惨敗。ただ、「生きた法律」を知らなければ法律を変えることはできないとの思いもあり、「身近な街の法律家」と言われる法律職の行政書士になりました。大学院1年の時に行政書士事務所を開業、現在まで16年間行政書士として法律の世界の最前線で活動しています。遺言・相続、クーリングオフを活用した悪徳商法対策、自賠責等級異議申し立てなどの交通事故法務、企業法務、外国人の入管業務、国内外企業の法律的・行政事務的コンサルetc.。幅広い分野で、まさに「生きた法律」の世界で仕事をしてきました。
 留学経験を生かし、英語で業務を進めることも日常的にあるため、諸外国の経営者、法律・会計人とのやり取りを通じた国際的業務にも鍛えられました。また、弁護士、司法書士、公認会計士、税理士、社会保険労務士などと連携し、難しい法律案件をこなすことも多々あります。ただ、その根底にあるのは弱者救済の視点。法律を知ってさえいれば回避できるトラブルも、たくさんあるのです。知らないがために不利益を被る法律弱者の救済も、私のライフワークです。信頼する私の仲間、弁護士などの有資格者と連携し、法律で人を救う活動も進めて参ります。

4 悪質商法・詐欺商法と戦う専門家として

~年中無休の電話相談の開始と啓発ブックレット(電子書籍)の刊行~

 私は、行政書士を開業した当初から、悪質商法や詐欺など消費者問題に取り組んできました。その最前線にいる者の実感として、一時期は下火になっていたものの、近ごろは昔ながらの訪問販売などに加え、ネットやスマホ時代に即した通販や情報商材といったものが目立ってきました。
 そこで、契約トラブルの駆け込み寺になればと考えて、私が主宰するICS行政書士法人で「クーリングオフの窓口」というHPを作って、年中無休で無料電話相談を受けることを始めました。今では、年に1500件ほどの相談が全国から寄せられています。そして、多くの相談を受けて感じたのは、若い人からの相談の多さと、危険な契約についての知識不足でした。また、クーリングオフ制度で、契約を無効にできても払ってしまった現金が取り戻せないことも多く、予防こそが必要な根本対策と思うようになりました。悪質商法について、若い純朴な皆さん知ってもらうために、年度末や夏休みなどに、消費者センターなどの行政は啓発事業を行なっていますが、ポスターやチラシ配布が中心、時期や啓発の機会は限られます。
 そこで、私は、電子書籍でブックレットを出そうとひらめきました。電子書籍なら、いつでも全国どこでも手に入る、スマホを持っていれば読める。印刷製本が無いぶん発行価格も抑えられます。
 とにかく読みやすく、手軽な啓発ブックレットとして、昨年、「悪質商法は年中無休」―あなたのそばに危険がいっぱい~悪質商法対策ガイド(若者編)―を書きました。
 一人でも多くの方の目にとまり、悪質商法について知って欲しい。知ってさえいればほとんどの被害は未然に防ぐことができるはずです。相談の電話の向こうで泣き出してしまった若い方がありました。そんな辛い思いをする方が一人でも減るように。

5 「法律」だけでは救えない「いのち」もあった。

板橋区に心の「ひかり」を求めて

 私の経験の中には、残念ながら救えなかった「いのち」もあります。弁護士などと協力し債務整理を行って債務を消し、法律的には再起できる環境を整えつつあった方が、自ら命を絶ってしまったことがあるのです。故人はさぞかし無念であったかと思います。借金の苦しみから早く逃れたかったのだろうと思います。私はいまでもその人たちの顔を思い出します。

 法律家は「法律的解決」の専門家なので、法律的解決=その方の根本的問題解決と思いがちです。しかし、それは大きく誤っています。法律的な解決はその方の問題の一つに過ぎず、多くの場合、精神的にも肉体的にも疲弊し、生きる気力を失っている場合も多いのです。生きる気力を再び手にするためには、心に「ひかり」が必要です。心の「ひかり」とは生かされていることへの「感謝」であり、生きるための「希望」、他人を思いやる「きもち」など他への「愛情」だと思います。

 私は行政書士という法律家の一人として、区議会議員という政治家として、現代に失われがちな心の「ひかり」を、区民一人一人が養える環境を作っていきたいと考えています。幼稚園、学校での教育、職場、や地域での活動、家庭での家族のあり方。さまざまな場面で人がつながるこの社会の全てが実践の場となります。政治ができる「人づくり」を行政はもとより教育、福祉、介護、障がい者福祉、子育て、産業などあらゆる分野に行き渡らせ、精神的弱者をなくす環境を作りたい。

 相手は自分を映す鏡、その鏡がいつも笑顔であるよう自分自身の知識とおもいやりの心を耕していきたいと思います。

6 転入者だからこそわかる

板橋区の善し悪し そして板橋区の進化を目指して

 私は横浜市磯子区出身です。美空ひばりさんが幼少期に過ごした場所でもあり、港が近く、横浜でも下町の雰囲気を残した街並みが特徴の地域です。私が板橋に初めて来たのは2002年。大東文化大学大学院修士課程に入学したことがきっかけでした。この時、法律学専攻でありながら政治学の授業を受けられる貴重な講座があり、迷わず政治学特殊講義として受講生に人気だった「板橋区長・幹部職員による講義」を受けました。現職の区長や幹部職員の方の熱心な講義と区の施設の視察など、板橋区というまちと自治体に非常に興味を持ちました。これをきっかけに結婚後、28歳の時に横浜から板橋に移住することになりました。

 私は赤塚地域に住んでおりますが、交通機関はメトロ、東武線、三田線、JRと「板橋はどこに行くにも便利だなー」とつくづく感じたものです。横浜とは明確に違う東京の利便性にも感心しました。また、東京23区なのに自然も多く、緑を感じながら生活できる都会のオアシス的なまちでもあります。
ただ、大都会独特の難点もあります。隣がどんな人かわからないような人のつながりの希薄さ、慢性的な交通渋滞、開かずの踏切、高島平をはじめとした超高齢化地域、犯罪件数の多さなどなど…、そして、行政の効率の悪さや議会改革の進捗度の低さ…。
板橋区の最初の印象は、好悪の混ざったものでした。

 しかし、難点は直せるものばかり。住んでいるこのまちをもっといいまちにしよう!と思いました。
移住者だからこそ発信できる提案をしっかり行い、地元出身の方にも理解して頂きながら区民一丸となってやってやろうじゃないか。そう考えたのです。

 板橋に住み始めてから14年、初当選から12年、行財政改革をはじめ様々な提案を行い、議員として活動を続け成果を上げて参りました。現在では、すっかり地元板橋区民として定着していますし、板橋を愛しています。私の子供にとっては故郷が板橋区。すべてのいたばし区民に、そして愛する妻とわが子に、誇りあるいいまちに住んでほしい。この思いを持ち続けながら、今日も、これからも板橋区のために働いて参ります。

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